焦点の合った眼差しならば
新幹線がトンネルに入って、レールを走る音がより響いた。
窓の外に目をやると真っ暗なガラスに見慣れない縁の黒い眼鏡をかけた男が映った。
目が合って少し焦る。
知ってる。自分である。
わかっているのになんだか恥ずかしい。
隣の席の男が戻ってきた。どしんと座るとタバコの臭いがふわふわと漂ってくる。さらに大きな口で欠伸などするものだから、より濃い濁った臭いがして思わず顔を背けた。また自分と目が合う。
文章がなんとなく書けなくなって2年くらい経ってしまった。
どうしてだろう、フリックする指が全く動かなかった。考える。原因は?
最近、気がついたこと。忘れないうちに書いておく。
自分のことしか見えてない。これに尽きる。
自分のことだって曖昧なのだけれど。
頭の中で聞こえてくる声が自分のそれでいっぱいになって、登場人物の心情まで丹念に考えることができない。
「わたし」、そして「あなた」までが想像のできる精一杯で、重要であるところの「彼ら彼女ら」を描けない。
すると途端に曖昧な表現と自分の見えてる景色に逃げることとなる。
しかし有限である自分自身の中で逃げ終わると、もう何にも出てきやしない。
このままだと「有限の自分」を少しずつ広げることでしか文章を綴れない。
トンネルを抜けた車体は夜の闇を切り裂きながら滑っていく。
黒い窓ガラスには相も変わらず眼鏡をかけた自分が映る。
もっと、みて。ねえ、みてる?焦点の合った眼差しで、ちゃんとみて。
あなたが傷つけた人たちは今何しているか、考えることをやめないで。愚かしくて無様だった10代を忘れたりしないで。憶えていることで身動きの取れないことだってあるけれど、それもあなたの優しさにしてね。
通路を歩く男たちが横を通り過ぎた。そして言った。
「自由席ってまじで自由なの?」
自由だよ。きっと。
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