母の料理を食べる資格がない
冷蔵庫を開けると、納豆のパックがいくつかと、茹でブロッコリー、トンテキが2枚入ってるのが見えた。
母はもう寝てしまって、父はまだ帰ってきていなかった。
空腹なわけでも、特別満腹なわけでもない。僕は納豆のパックだけを手に取り、目を閉じてから冷蔵庫を閉める。
「いい加減、子どもみてえだからやめてくんねえか」
数日前の朝、父に言われた言葉を思い出す。
クリーニングに出されたワイシャツが僕の分まで父のクローゼットに仕舞われていて、朝着るワイシャツが手元になかった。
なーんにも考えず父のクローゼットからワイシャツだけを取り出す。ハンガーと、それに伴うビニールは残したまま、だ。
父はその振る舞いが気に入らなかったんだろう。
「子どもみてえ」なまま、立場だけ大人になってしまって、仕事はしっかりやってるつもりだけど、家での振る舞いは思春期よりも分からなくなってしまった。もはや家の中で落ち着ける場所は自室のベッドの上と、ピアノの前だけだ。
家事をしない。片付けも掃除も洗濯も料理も、猫の世話すらも両親任せで、自分が家にいる事自体がお荷物なのは明白だ。
何かのせいにする体力もない。
家族と話すと疲れてしまう。いや、疲れさせてしまってるのではないかと怯えてしまって、勝手に苦しくなってしまう。結果、「存在しない」のと同然に振る舞いたくなって、僕は息を止める。
家の外と家の中の自分の差異に、頭が痛くなる。「子どもみてえ」だと心底思う。
こんな「子どもみてえ」な自分に、サンタクロースは何も持ってきてくれやしない。だって僕はもう、オトナになってしまったのだから。クリスマスイブにワクワクしない、ただただ納豆を食べる大人なのだ。
早く家を離れなければ、「オトナ」にゃなれねえ。
オレは納豆をかき混ぜながらカラシを入れそびれたことに気づいた。
あぁ、このままじゃ甘いままだ。
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久しぶりの更新がこんな内容になってしまった。感情の記録の1つとして、残しておきましょう。
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