ペトリコールと歌う②
自転車を漕いでいると、にわかに大粒の雨が降ってきた。近くで雷が落ちる音まで聞こえる。大粒で凶暴な雫が頬にぶつかっていく。
瑠香はちゃんと屋根のある所に避難しているだろうか。変に強情なところがあるから、あの場所で頑固に待ち続けていたりするかもしれない。それはそれで……と頬を緩めると雨脚はさらに激しさを増したようにも感じられた。コンビニで買った戦利品は籠に置かれて揺れている。ビニール袋を叩く雨は何かを訴えるみたいにバチバチと音を立てている。僕は情けなく髪を濡らして、ペダルをさらに強く踏みつけた。
木の下に、瑠香はいなかった。マーチンもない。この木の下では雨宿りにならないと、どこかに避難したのだろう。
降りしきる雨に当たらぬよう、かがんでスマホを開くと瑠香からメッセージがあった。
「休憩所。早く」
休憩所に着くころには下着までずぶぬれになっていた。夕立はまだ、収まるところを知らず、ペトリコールなんて悠長なものではなかった。休憩所と言っても屋根があってベンチがあるというだけのものだから、時折横殴りになる雨がTシャツをさらに濡らした。
大丈夫か、とかがんだ瑠香の背中に問いかけてから、瑠香が抱きしめている少女に気づいた。
痩せた、幸の薄い少女だった。おかっぱ頭が水を被って黒く光っている。大きなリュックとその華奢な体はとてつもなくアンバランスに見えて、なんとなく不思議な感じがした。
「この子、家出したんだって。ピアノ教室サボって」
近づいてきた瑠香は小さな声で言った。少女は下を向いてベンチに座っている。
「……そうか。…あ、これアイス」
瑠香はキッと睨むと奪うようにビニール袋を受け取った。なんでこんな色々買ってんのよ、こんなの買うくらいなら新しいシャンプー買わなきゃでしょ、ていうか傘買ってきなさいよ、馬鹿なの?…とブツブツ言いながらバニラのソフトクリームを取り出し、踵を返す。結局文句は言われてしまうのだ。
ハイ、と瑠香が女の子にアイスを渡す。え、でも、と言いかける女の子の手にはすでに開封されたアイスが握らされていた。
「気の利かないそこのお兄ちゃんが気の利かないものを買ってきたから、よかったら召し上がれ」瑠香はちらりと僕を見て言った。そっちがアイスを買ってこいって言っただろうが、と言いかけて、やめた。「けいすけはそう言うとこがダメ」と返されるのが目に見えていたから。瑠香の視線を逸らして濁った空を見上げる。黒い雲の動きが激しい。雨粒はいっそう細やかに、かつ大胆に地面を叩く。
ふと女の子に目を向けると、その隣には僕のマーチンが入っているギグバッグが立て掛けてあった。ヘッドの部分には瑠香のハンドタオルがかかっている。小さなハンドタオルは僕が去年のホワイトデーにお菓子と一緒にプレゼントしたものだ。あの時も瑠香は「気の利かないプレゼントね」と言って受け取ったのだった。
瑠香を真ん中にして三人はベンチに並んで座った。豪雨はレースのカーテンのように視界を遮っている。
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