イノウエと歌④
声を前歯に当てる。ロック調の曲では子音を強く発音してパリッとさせる。爪先と踵に力を入れ、土踏まずを浮かす。腰を気持ち前に突き出して胸を張る。みぞおちを膨らますように呼吸をする。歌う前はリップロールをしてウォーミングアップをし、全身の力を抜く。
ササキ先生は歌の基礎をしっかりと僕に教授した。僕が選んだ歌を実際に歌い、改善点とその方法を教えてくれる。あの先生は褒めて伸ばそうとしてくれるタイプの人だった。褒められ慣れていない僕にとって初めてに近い、肯定された感覚に浸ったものだ。
高校2年生の秋、僕はボーカルスクールに通った。期間にして半年。闇雲に喉を削って歌っていたそのスタイルを激変させたのはササキ先生だった。
そこに通うことになったきっかけは父の言葉だった。
「りゅう、歌とか習ってみたら」
幼い息子に音楽教育をするくらいの父だ。そんな提案をしてくれるのはある意味自然なことなのかもしれない。素直じゃない当時の僕は一度は拒否をした。
「いいよ、そんなの。高いし」
しかし、脳裏にはTAKAがちらつく。TAKAになりたくば、このままではダメだ。
近所のボーカルスクールを検索し、こっそり無料体験入学のボタンを押す。
その体験入学で出会ったのがササキ先生だ。20代半ばに見える女性講師。本当なら男性講師に習うべきだったのかもしれないが、当時の僕は人見知りで新しく出会う大人は怖かった。
「ここの先生良かったし、歌、習いたいんだけど…」
父に声をかける。右手にはチラシを、左手にはひとかけらの勇気を。
「体験レッスン行ったのか。……意外と高いんだな」
「…うん」
「りゅうは月いくらまで出せる?」
「…えっ?」
「やっぱ自分のお小遣いからも出さないとありがたみ薄れるだろ」
「…うん。そうだね、……2000円、かな」
「いいのか?」
当時の僕のお小遣いは月5000円だった。実質3000円となるお小遣いでは相当節約しないとすぐに底をついてしまうだろう。それでも僕は首を縦に振った。TAKAになりたかったのだ。無謀にも。This is my own judgement.
あの頃に教わった様々なことを今になって思い出す。半分忘れていたようなこともあって、それらはこのブログを書かなければ救い出せない知識だったかもしれない。ササキ先生を思い出して良かった。
さらに同じ年、音楽専門学校のオープンキャンパスに参加した。参加予約特典としてボーカル講師に20分間指導してもらえる機会があったからだ。
緊張しながらその場で歌ったのはポルノグラフィティの『サウダージ』だった。中々に辛口評価だったがダメ出しされて伸びるタイプなのでそれはそれで上達のきっかけになった。
そんなこんなで高校2年生を過ごした。もちろんサッカーも続けていた。しかしそこに近づくのは大学受験だ。修学旅行明けに受けた「センター試験同日模試」の結果は惨憺たる結果だった。英語と国語の二科目偏差値は40。第一志望校と自分の実力はもはや天と地。歌ってる暇なんてない、と親は考えていただろう。
それでもそこから一年間、僕は歌い続けることになる。
…………………………
いつまで語っとんねんって感じするけどもう少しで終わる…はず。
つづく!
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