イノウエと歌③
「イノウエ先輩ってゲロ下手でしたよねw」
サッカー部の後輩が僕の同期に言った、らしい。昨晩、その同期は明らかに僕を傷つけるためにそれを伝えた。サッカー部を引退して4年。それだけ経っても、サッカーしか頭の中にないような連中は僕を嘲笑うために未だにサッカーを引っ張り出す。
サッカーが下手だった。サッカー部の中でも、センスがなかった。努力では埋めきれない壁は確かにある。それを突きつけられ、自分の限界を思い知った中高6年間だった。
中高生の残酷な一面、特に男子校という土壌で生み出されるカーストの基準は"運動神経"にあるといっても過言ではない。運動神経弱者を自称する僕は、サッカー部に所属しながらもカースト1位グループを遠く眩しく思っていた。
いじられ役というキャラクター、サッカー部の中では劣った運動神経の持ち主。その二点が相まって僕の劣等感は燻り続けていく。ちょっと調子に乗るとすぐ叩かれる。正直言ってそれは息苦しいものだった。
サッカーが上手ければその発言にも力を増していく。僕の目には、世界はそう見えていた。そうでもなくない?と反論してくる人がいたらそれは幸せな人間だ。負け続け、それに慣れ、主張することさえ億劫になっていく感覚を知らないのであれば、きっとその方が楽だからだ。こね続けて手垢まみれになった粘土みたいに僕の悔しさは黒ずんでいく。先輩からは見向きもされず、同期からは軽んじられ、後輩からは馬鹿にされる。それでもそれを受け入れなければ自分の居場所なんてなかった。僕は小さなサーカス団のまぬけなピエロでしかなかった。
成績も大して良くなければサッカーも下手。そんなパッとしない僕に寄り添ってくれたのが"歌"だった。ポルノグラフィティを好きになって以降、自分の声域は次第に高音域にかけて広くなっていた。技術はなかったが、声は大きかった。大きい声を出すことはストレス発散であり、自分を主張できているような気がして気分が良かったのだ。
高校一年生の頃に友人に誘われ、あるバンドのライブに行った。ONE OK ROCKだ。
会場に響くTAKAの声に全てを奪われ、自然と涙が溢れた。声の力、歌の力、音楽の力を全身で感じて僕はTAKAが心底羨ましくなった。ただのまぬけなピエロが、舞台上で賞賛を浴びたい、そう思った。
"TAKAになりたい"という思いは歌への情熱につながっていく。誰かの感情に少しでも影響を与えられる可能性があるのはサッカーよりも、歌だった。そこから一歩ずつ自分のあり方を探して僕は歌い始める。
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いじめられてるわけではなかったけど、周りの人にとってイノウエはいじりやすいんだろうね。困ったらイノウエいじっとけみたいなところは未だにある。それはそう理解してるからツッコミを返せるけど若すぎると単純にちょっとずつ傷ついていく。今となってはカサブタになった一番大きな傷は昨日無神経に引っ掻かれて、また痛い。それが冒頭の後輩の発言。まだ続く!
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