ブログなんて書くのやめようかなって。
世の中に存在する天才に、太刀打ちなんてできないことを思い知らされる。絶望。自虐。卑屈。
自分がどう足掻いてもできない発想を見せつけられた悔しさ。そんな天才的発想を垣間見ることができた興奮。そして、興奮したことにまた感じる悔しさ。ループ。
自分にも何かできるんじゃないか。そんなのは思い上がり。自分への欺瞞。現実逃避的楽観視。お前にはまだ早い。
そんなこんなのわだかまりを胸に抱きつつ、伊坂幸太郎著、『首折り男のための協奏曲』を読み終えた。
『首折り男のための協奏曲』はうっすらとどこか繋がっている7つの短編を収録した作品である。読了後の「打ちのめされた感」というか、頭を叩いてきたくせに謝らないで去っていった知人のような不可解さというか、いわば"通り魔的"な小説だったと思う。
その中には(読めばわかるが)大してテーマ的に繋がっていない短編もある。その内の一つ、『月曜日から逃げろ』には特に衝撃を受けた。
こういう展開の作品は過去にあったのだろうか。あったとしたら単純に自分の勉強不足だが、少なくとも僕にとってこの一篇は"衝撃的初体験"であった。
「物語を書く」ことにおいて自分がしてみたいことを存分に、完璧に、大胆にやられたような感覚がする。勿論、自分なんかが考えもついていないような発想によってだ。
無理、ってなった。吐き気すらする。こんな天才がいる世界に自分なんかが必要とされようか。いや、されない。
極端な話、「俺なんかのブログ読んでる暇あったら伊坂幸太郎読んで度肝抜いてる方がよっぽど有意義じゃん」くらい思う。いや当たり前なんだけどね。最初からわかってた話。
地元のサッカー少年団に所属している子どもがJリーグのスーパーゴールを生で見て自分の未熟さを悔しがるのに近い滑稽さだ。
わかってる。
ピッチにすら立てない少年はひたすら興奮だけしていればいいのだ。本当なら。
でも、「シュート練習」を始めてしまった。
キーパーがいないただの枠に、ひたすら蹴りこむ。そんな毎日を誓ってしまった。
あのスーパーゴールに沸く観衆は僕の周りにはいない。たまの良いシュートを優しい友人が褒めてくれるだけだ。それでもあのスーパーゴールとそのシュートを比べて落胆する。僕にはまだ、何もできない。
でも伊坂幸太郎だってきっと、シュート練習はしていたはずだ。それこそ誰よりも真面目に取り組んでいたはずだ。そうであってほしい。
なれるかなれないかなんて、続けてみないと分からないじゃんと思う。だから続ける。続けてこそわかること、シュートを蹴りこみ続けてこそわかることがきっと、きっとある。
そう信じる。
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