せんせい②


「君がストライクゾーンに投げられることはわかった」
せんせいはまっすぐ目を見て言う。気恥ずかしくなって僕は俯く。
「だから、次は、ボールでもいい。デッドボールでもいい。バックネット直撃の大乱投でもいい。君の全力投球をしてごらん。」

せんせいは作家で教育者でカープファンで…
ーやっぱり、せんせいだ。

せんせいは僕が3月末に提出した小説まがいのモノガタリを講評してくれた。
せんせいの研究室には飲みかけのペットボトルが何本か置いてある他は大量の書籍が本棚に並んでいるだけだ。

「君が疑問に思っている普遍性を持ったテーマを、苦しみながら、もがきながら、小説に落とし込んでみてほしい。失敗したっていいんだ。君がその問題についてどれだけ深く掘り下げて考えられるかが大切なんだから。」
僕は口角をあげてせんせいの目を見て頷く。
これが2日前のこと。


話は遡る。
卒業研究かゼミに入るかを選択する2年生の10月、僕はサークル活動でいっぱいいっぱいで、ゼミのESなんて書いている暇がなかった。ざっとゼミの要項を見る限り、なんとなく自分の居場所なんてない気も、した。
そう、色んなことを言い訳にしながら僕はゼミなし人間と化したのだ。
卒業研究を選んだ学生は指導教員を指名できる。もちろん、その希望がそのまま通るとは限らない。3年の9月ごろに卒業研究計画書なるレポートを提出し、それを読んだ教員が学生を選ぶ(多分)
僕は迷わず、せんせいを指名した。
「ライターという仕事」及び「小説表現」の講義で顔と名前も認知されている。見てもらうならせんせいしかいないと思った。
計画書には「メディアミックスが云々」みたいな内容を書いて提出した。

最初にせんせいと面談した時、「メディアミックス云々より、小説を書いてみないか?」と言われた。
「小説書くのって面白いぞぉ」とも。
演習では800字の、小説とは呼べない物語の断片を書いてきてはいたが、卒業論文となると約40000字ほどになる。自信は全然なかった。今でも、ない。

でも人生においてこんな貴重な機会はない。
日本の義務教育課程で一度は読むことになる作家のせんせいに、小説創作の指導をしてもらえるのだ。
答えのありそうな問いよりも、答えのない問いに挑みたい。そう思って頷いた。


今、書きたいテーマがいくつかある。
でもそれを書こうとしても、作文体力や、知識、精神的余裕などがないから、窮屈で強引なストーリー展開に陥ってしまう。自分自身と見つめあって物語を掘り起こすのも、孤独で苦しいものだ。

それでも、せんせいみたいな小説が書きたい。いつしかそう思うようになっていた。

小説家になりたいわけではない。
でも、きっとあるはずの可能性に、ちょっとだけ期待してもいいんじゃない?とも思う。

フォームがめちゃくちゃでもいい。
肩が壊れるほどがむしゃらでもいい。
前にさえ投げられれば、今はそれでいいのだ。


せんせいはある小説でこんなことを書いた。
ほらみろ。リッキーさんの言う「自由な発想」って、「ここからあそこまで」がきまってるんじゃないか。だったら、なんで「自由」なんて言葉をつかうんだろう。
せんせいはこんなことも言っていた。
なってほしい像に、なってほしくない。

「自由」に、書いていいのだ。
「ここからあそこまで」なんて制限をせんせいは絶対にしない。
なってほしい像にはならない。
ならないけど、なりたい。
何に?
うーん、なんだろう。

そんなんだけど、イノウエは。

つれづれなるままに!ひぐらし!

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