ツレがうつになりまして。
「わたし最近思うんだ。ツレがうつになった原因じゃなくて、…意味は何か、って。」
宮﨑あおい演じる、髙崎晴子はそう言った。
映画版「ツレがうつになりまして。」を観た。
晴子は夫、幹夫を「ツレ」と呼ぶ。二人称で、「ツレ」だ。変わっている。だがそれがまたいい味を出していた。
堺雅人が演じたうつ病患者、髙崎幹夫は几帳面で完璧主義者。毎朝のルーチンを必ず守り、会社では激務に追われる。
ある日突然、お弁当が作れなくなり「死にたい」と言ったツレ。最初は適当にいなす晴子。ハラハラするほど危なっかしいツレの表情に僕の心が痛む。
似た表情を、見たことがあったからだ。
「うつ病は心の風邪」。よく言ったものだ。劇中では"誰でもなりうる"という意味で「風邪」と表現されていたが、それだけではない。うつ病は風邪のように"感染しうる"ものだ。
晴子は強かった。彼女がうつ病に感染することなく映画は終わる。彼女は笑顔でツレの居場所を作ろうとし続けた。会社を退職し、家で様々な感情を振りまきまくるツレに、寄り添い続けた。「頑張らない」をモットーに頑張り続けた。
それでも一度、晴子がキレるシーンがある。漫画家である晴子は締め切りに追われ、いつもの余裕がなくなる。そこに少しだけ元気になっていた完璧主義者のツレが細かい点を指摘してしまう。晴子は大声をあげて書きかけの原稿を丸めてツレに投げつける。呆然とするツレ。自分を否定されたように感じたのだろう、ツレは風呂場で自殺を図った。晴子は間一髪それを発見し、止める。
「僕なんかいなくたって誰も困らない」ツレはそう言って涙を流していた。
「申し訳ない。僕がうつ病なんかになったからこんなことに…。ハルさんの漫画が売れないのも、全部、全部僕のせいだ。何もできない自分が悔しい、申し訳ない。…申し訳ない。」
ツレは布団を被って泣きながら言っていた。自分のせいじゃないことも背負ってしまう。
これもまた、僕には覚えがあった。違うんだ。君は悪くないんだ。そう、もっと言ってあげたかったんだけど。
僕も、うつ病になりうる気質を持った人間だと思っている。でもそれは恥ずかしいことでも、負い目に感じることでもないんだと、この作品は訴えている。
なるほどその通りかもしれない。うつ病になる人、または成りうる人はみんな「いい人」だ。自分のことよりも他人のことを想える、ずぼらではなく物事に対して真面目な「いい人」だ。ちょっと肩の力の抜き方がわからないだけの、「いい人」だ。
やる気が起きない日もある。
自分を責めてしまう夜もある。
他人が自分のことをどう思ってるのだろうだとか、周りの人に迷惑をかけてないだろうかだとか心配になる時だって、ある。
寄り添うことすら今はできないけど、いつか君に会えたら、もう少し強くなった僕が「頑張らずに」向き合って寄り添っていければいいなと思うよ。
その日のために、うつ病に関して、もっとちゃんと知っていかなきゃいけない。複雑な心の動きを、怖がらずに受け止めるために。
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全然関係ないけど、宮﨑あおい主演の作品見たの今年で3作品目だな。
ソラニン、NANAときて、これ。作品として言えば今回の役が一番性格的に難しい役どころだった気がする。髙崎晴子は自称「マイナス思考」らしかったけどそんな感じはあまりしなかったし。そこの引っ掛かりは少しあった。正直。
あと尺の都合上だと思うけど、ツレの激務度合いの描写が中途半端で微妙だったな。まあそこまでの蓄積を視聴者サイドが想像しろよってことなんだと思うけど。
世間にうつ病に対する理解の呼びかけをしたという意味で、とても価値のある作品だと感じました。良かったら是非。
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