奴の声が聞こえなくなって

どんなに耳を澄ましてみても、奴の声は聞こえてはきやしない。うっすらと遠くの方で響いているのはカラスの余裕そうな鳴き声と犬の必死そうな泣き声だ。

昨日の朝、確かに奴はいた。奴がいるまで俺は心身ともに休養し続けられる契約でいたから、奴がまだ生き延びていることに感謝をしたものだった。
昨日の夜、帰り道、金木犀の忌々しい香りが鼻をくすぐった。不吉だ。奴が忌むはずのこの匂いを、俺は切なくなるほど呪うのだ。

なんてことはない。
紛うことなき季節の変わり目を全身で感じる、ただそれだけの話だ。
夜毎に掛け布団のかぶり方は深くなっているし、日毎にジーパンのロールアップは下がってきている。

もう死んでしまったのだろうか。奴らは。

奴らが、ミンミンゼミが、鳴くまでは疑いようもなく夏なのだ。
逝ってしまえばもう帰ってはこない、夏なのだ。
最後の、夏。
うん。

そんなんだけど、イノウエは。

つれづれなるままに!ひぐらし!

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