ほおずきを引きずる私は。
ほおずきを、もらった。
人の良さそうなおばさんだった。
「ほら、お土産いっぱい買っちゃってさ」
両腕にぶらさがった袋にはいっぱいの浅草土産が詰まっているのだろう。
露店にはたくさんのほおずきが売られていて、枝ほおずきの小さなものから風鈴つきの可愛いものまでたくさんの種類が並べられている。7/10、「ほおずき市」。
浅草の夏祭りみたいなものだ。
この日のお参り一回で4万6000日分の功徳があるというのだから大変だ。一生を持って有り余るほどの年数のお参り分の担保が可能なのである。もちろん、参拝客でごった返している。いつも以上だ。
昨日、フラれた。
他に好きな女ができたと、あいつは言った。一昨日まで「あいつ」なんて思ったこともなかったのにな。
「君を嫌いになったわけじゃないんだけどさ」
そんなことを言ってあいつは私から目をそらした。嫌いで憎くてどうしようもないほど別れたいと思ってくれた方がマシなことに気づかないほどお人好しなのだ。そこが好きだった、はずだ。
みんなに優しいって、みんなに優しくないんだ。それを肌で感じたのは初めてだった。
おばさんから枝ほおずきを受け取った私は改札をくぐり、電車に乗り込んだ。特別浅草に用事があったわけじゃない。ただ、なんとなく人の多そうなところで、行く気になったのが浅草だった。そこでたまたまほおずき市が開かれていた。それだけだ。
小さな紙風船のようなほおずきの一つ一つは、儚いようにも逞しいようにも見える。
ほおずきを間近でしっかり見るのは、これまた初めてのことだった。
夕刻、小田急線の下り列車はそこまで混んでいなかった。空席を見つけ座ると、大学生と思しき男の視線を隣から受け取った。枝ほおずきを見ているようだ。
すみません、と聞こえた気がして顔を上げる。隣の男子大学生がこちらを見ながら言う。
「すみません、えっと…なんでしたっけ、これ」
指差すその先には私の手元にある枝ほおずきがあった。そこには、話しかけられてびっくりした私と、話しかけてしまってびっくりした男子大学生と、それらに我関せずと発車していく電車があった。景色が流れていく。
「…ほおずき、です」
「あ、そうでした、…ありがとうございます」
はい、と返すと会話が終わった。私の体温は上昇し、ほおずきのように頰も火照っている、かもしれない。そのほおずきをみてさらに恥ずかしくなる。そう、恥ずかしいのだ。恥ずかしい!
そう気づくとほおずきを持っている自分にも、あいつのことにうだうだしている自分にも、男子大学生ごときに話しかけられて居心地が悪くなっている自分にも、腹が立ってきた。どうしてかって?人の気持ちに理屈やデータが通用しないことだってある。色んな感情が混ざり合って、怒りに近くなった。そういうことだ。でもそれは"市販の"怒りじゃない。つまり、デフォルトで配られる黒の絵の具から出した黒色ではなく、赤や黄、緑や青などたくさんの微妙な色合いを混ぜ込んで最終的に黒色になった、いわば"オリジナルの"黒色だ。
そこは降りる駅ではなかった。でも、居ても立っても居られなくなって立ち上がる。男子大学生に枝ほおずきを押し付けて足早に外に出る。
夕陽が沈みかけていて、東の空はとうに紫に染まっていた。西の空でほおずきみたいに小さくなっている太陽は1日の役目を終えて、地の果てに帰っていく。
そういえば"あいつ"の苗字は「西」だったなと思い出して、私はくすりと笑った。
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