慰霊の日


きょう、6/23は「慰霊の日」だ。

72年前のこの日に沖縄戦が終結し、たくさんの方々が亡くなった。新聞の一面でもそのことが取り上げられており、忘れてはいけない日であり、知っておかなければならない日であることは間違いない。

先ほど、ある元フリーキャスターの方の訃報を知った。テレビの中の人、いわば二次元と大差ないと思ってた人が、亡くなった。重みのある鉛みたいな黒い塊がずっしりと胸の内を沈める。なんて僕はバカだったんだろう。彼女だって生きていたのだ。当たり前のことに気づく。

3年前のきょう、おじいちゃんが亡くなった。
癌だった。
僕にとっては生まれた時からおじいちゃんはおじいちゃん一人だけだった。小さい頃、おじいちゃんの家に行くと必ず動物アレルギーを発症した。飼い犬リッキーには申し訳ないが、当時の僕は今よりもずっと体が弱かったのだ。
夏、おじいちゃんの家の近くにある小さな山で蝉をとった。
おじいちゃんは畑を持っていて、釣りも好きだった。丹沢湖に釣りにもいった。
おじいちゃんは聡明だった。役所の小難しい手続きは一人でこなしたし、6歳くらいの僕に円の面積や円周の公式を(なぜか)教えてくれた。
おじいちゃんはご近所さんからも信頼される人物だった。会社でもきっとそうだったのだろう。
おじいちゃんは電話口で僕に何度も言った。
「今度、うちこいよ」
その声はちょっとキメが粗くも、確かな温もりがあった。


あれは確か中学一年生の時。
小田原の骨董市へ二人で出かけた。GWに開催される北條祭りに伴って開かれる市場だ。古銭収集が好きだった僕にめぼしい古銭を買ってくれるおじいちゃんは何だか嬉しそうだった。その後はうな重を食べた。量が多くてギリギリで食べ終えた僕をよそに、おじいちゃんは平気な顔をして平らげていた。

それから毎年のように、小田原に出かけた。思春期の僕はおじいちゃんと何を話していいのかわからなくて、ちょっと困った顔をして歩いていたいたかもしれない。うまく話せなくて、ごめんね。

最後にそこに行ったのはまさに3年前だった。
その頃のおじいちゃんの癌はどんな程度のものだったのだろう。この1ヶ月半後に亡くなってしまうのだから、もうかなり進行していたのだろう。

小田原城のふもとにはソフトクリームが売っていて、毎年食べていた。階段を何度か登らないとそこに辿り着けないのだが、おじいちゃんは息切れしながら途中で腰を下ろした。お金だけ渡して僕にソフトクリームを買わせに出した。
おじいちゃんはその後、うな重を半分残した。大学一年生になっていた僕はおじいちゃんの残した分までしっかり食べた。無性に悲しくて、おじいちゃんの目を見ることはできなかった。


病院のにおいは苦手だ。消毒液が染み付いたような空気がどうも慣れない。
痩せてしまったおじいちゃんは何だか別人みたいで、僕にはどうにも実感が湧かなかったのをよく覚えている。6月の中旬ころ、おじいちゃんは意識がもうなかった。

でも、どこからかヒョイッと元気なおじいちゃんが現れて、このベッドで寝ているおじいちゃんに似た痩せた男に大声で労りの言葉をかけるのではないか、と本気で信じた。
いや、信じたかった。
わかってはいたのだ。紛れもなくこの人はあのおじいちゃんで、もう、しゃべることはできないということを。


おじいちゃんがくれたたくさんのものを僕は活かしていけるだろうか。

生前、おじいちゃんは僕に言った。
「りゅうま、高い目標を持て」と。

社会人になった僕を見せることはできないけれど、どこかから見守ってくれていますか?
あなたみたいに聡明で、周りから信頼されるような人間に、僕はなれていますか?

あなたの孫は未熟者で、弱いところもたくさんありますが、元気です。元気でやっています。
おじいちゃんもどうかそっちでお元気で。
もう少し喋れるようになった僕がそっちへいくまで、もう少しかかります。
その時まで。

そんなんだけど、イノウエは。

つれづれなるままに!ひぐらし!

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