仮面ライダークウガ


「この作品を故 石ノ森章太郎先生に捧ぐ」

この一文から、物語は始まる。
2000年に放映開始された平成ライダー最初の作品である『仮面ライダークウガ』。僕は17年ぶりにこの作品をアマゾンプライムビデオで見るに至った。2017年現在、グロンギより何よりアマゾンの侵攻がすごいよ…


さて、全49話を視聴した感想を誰に求められたわけでもないのに書いていこうと思うよ。もう自分自身の備忘録みたいなとこあるし、ネタバレみたいなのも書いちゃうかもなのでそれでも良ければって感じ。はい。
書き終わってから見出しつけたからそんな当てはまってないけどお気になさらず。

【あらすじ】
【五代雄介】
【時代背景】
【グロンギ族】(予定)
【そのほか】(予定)
今回は五代雄介と時代背景について。


【あらすじ】

長野県にある九郎ヶ岳遺跡(架空)を発掘中、グロンギ族なる生命体が突如復活する。そいつらはその後およそ1年間、人間を殺戮し日本を恐怖に陥れるのだが、五代雄介という青年が「クウガ」となりそれを食い止めていくというあらすじ。
 

【五代雄介】

この「五代雄介」がいい。すごくいい。
オダギリジョー演じる五代雄介は冒険家として各国を旅する若者なんだけど、何と言っても笑顔が素敵。幼稚園児から警察のお偉いさんまで心を許してしまう最強の人たらしである。羨ましい。
彼は「みんなに笑顔でいてほしい」という信念をもち、グロンギ族と仮面ライダーとして一人で対峙していく。
そして圧倒的な好青年であり、ポジティブであり、他人のためなら自分自身の痛みを堪えて笑う強さを持つ。
物語序盤は警察すら味方でない中で未確認生命体と戦闘し続けており、僕はそのメンタルに驚愕した。だって守りたい相手に発砲されながら敵も倒すんだよ。辛くね、普通に。

大事な取引先と交渉中に妻から電話かかってきて罵倒されるサラリーマン夫みたいな気持ちでしょ。知らんけど。

とにかくメンタルがすごい。
その中でしっかり警察の信用を得ていく過程も丁寧に描かれていて良かった。


そういえばこの作品に特徴的なのは「仮面ライダー」という単語が全く出てこない点だ。というかそもそもクウガを「クウガ」と呼ぶ人間も五代雄介とその周囲の人間以外ほとんどいない。
マスメディアや市民はクウガを「4号」と呼び、グロンギを「未確認生命体」と呼ぶ。
クウガは当初、未確認生命体第4号として数えられ、その時のままその呼称が定着してしまうのだ。

平成ライダーの最初の作品ということもあり、「仮面ライダー1号」「仮面ライダー2号」「仮面ライダーV3」の三部作を念頭に置き、その後続としての「4号」だったんじゃないかなと思ったりもする。


【時代背景】

2000年というのはノストラダムスの大予言を「くぐり抜けた」年でもある。
ノストラダムスの大予言というのは1999年の7月に恐怖の大王が降りてきて地球を滅亡させるだろう的なアレである。
クウガの企画段階時、恐らくこの予言に関する意識が通奏低音としてあったはずだ。このことも「第0号」と呼ばれる圧倒的ラスボスの存在にある種の影響を与えているんじゃないかなと思う。恐怖の大王っぽいもんねあれ。作中では「究極の闇」って言われてたけど。
厨二病かな?

ちょっと遡るとこの時期は
1995年の阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、97年の酒鬼薔薇聖斗事件など、
唐突に人の命が奪われる天災や事件が多発していた時期でもある。
これは「未確認生命体」たちがゲームとして殺人を繰り返す様子に重ねられる点もあると言える。(特に酒鬼薔薇聖斗事件との関連性は強いように感じる。命の重みを完全に度外視してるあたりとか。)

単純に「ヒーローを求めてた時代」というと安直だろう。いつの時代もヒーローを求めているからだ。でも、何かを諦めて笑顔を無くしてしまった人たちが多かった時代でもあったはずだ。バブルが崩壊した90年代後半の日本はきっとあまり良い空気感ではなかったに違いない。
そんな大人たちに向けた作品としてこの作品は捉えることができる。昭和ライダーを見て育った世代に向けた新しいヒーローだ。

だからこそ戦闘シーンは少ないし、必殺技の名前もない。フォームの名前もなければそこまで派手な演出もないのだ。(2話の燃えている教会の中で戦うシーンの演出は凄かったけど。)

警察との駆け引き、グロテスクな殺人シーン、早口で難解な解説、作中で全く翻訳されないグロンギ語での会話など、大人でも解釈しきれないものが詰まっているのはこの時代だからこそ生み出せる仮面ライダー作品だったからだなと思う。
 

今日はこんなところで。明日も書ければ。



そんなんだけど、イノウエは。

つれづれなるままに!ひぐらし!

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