過客観的思考

ぼくたちは主観ありきで行動する。
裏を返せば行動する時には必ず主観が伴う。

昼時、文キャン周辺を歩いていて麺爺に入る。
この行動には頭の中で、
「俺は今、てんや前を通過し、左に曲がる。麺爺に入るか…いや、ごんべえもありだな…いや、麺爺にしとくか…etc」
などの主観的な葛藤をしながら、結局麺爺の愉快な券売機に硬貨を入れるわけだ。


多くの人は恐らく、そこになんの疑いもなく主観のみの行動をしているのだろう。
ぼくの場合、少しだけ違う。きっとこういう人は他にもいると思うけど「過客観」的に行動を見つめてしまうのだ。
このように。
面倒だ。
一つ目の客観はわかりやすい。
「あ、今俺のこの行動、焦ってるように見られてるかもなぁ」明快だ。誰でも考える。
二つ目の客観から事態はやや、ややこしくなる。
「あ、今俺のこの行動、焦ってるように見られてるかもなぁっていう自意識はきっと◯◯のせいかなぁ」
もはや意味がわからない。自分でもよくわかってない。3つ目以降は繰り返しだ。
客観視を客観してそれをまた客観視する。頭がおかしくなりそうなループにとどめを刺すためには忘れてしまうことだ。油そばでも食って腹を満たし、忘れてしまうことだ。それしかない。

「過客観」はとてつもなくダルい。
考えすぎだ、とよく言われるが多分これがその所以だ。
過客観によって次第に主観から遠ざかっていくその感覚すら「主観」なのだからこれはきっとただの自意識過剰なのだろう。
自意識の中で本当の意味で客観なんてものはない。
わかっちゃいるけどね。

何言ってるかわからない?
うーん、ぼくもわからないです。

そんなんだけど、イノウエは。

つれづれなるままに!ひぐらし!

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