やさしくなりたいけど、やさしくされたい

斉藤和義は歌った。
やさしくなりたい、と。
愛なき時代に生まれたわけじゃない
キミといきたい キミを笑わせたい
愛なき時代に生まれたわけじゃない
強くなりたい やさしくなりたい
やさしくなりたい。わかる。「優しく」じゃなくて「やさしく」なのもなんとなく、わかる。

でも、「やさしい」っていうのは他人が決めることなんだよな。

あいつが〜してくれた→やさしい
あいつはいつも気遣ってくれる→やさしい

「やさしい」の基準は色々あれど、自分で自分を「優しい」っていうやつはちょっと信用ならない。その意識が既に「やさしくない」もん。なんか鼻につく。
アレに似てる。
ナルシストが自撮りをSNSに投稿するアレ。

「ほら、かっこいいだろ?」(ドヤ顔)

その意識がもうかっこよくないと思うのは俺だけなのかな…。ま、俺だけでもいいです。


話が逸れた。

「やさしくなりたい」って思うその心は多分「やさしくされたい」とも思ってる。
「やさしくするから、やさしくしてくれ」みたいな。見返りを求めるような感じ。
本当に芯からやさしかったら「やさしくなりたい」なんて思わない。「〜たい」は現状の裏返しだ。
ちなみに俺は「芯からやさしくて、かっこいい人」になりたい。まあ困難。

「やさしさ」ってなんなんだろうね。きっと正解はない。
ふと、「やさしいだけのオトコはつまんない」って誰かに言われたの思い出した。
オンナって難しい。

どうでもいいけど俺の文章、意味深な「」が多すぎてくどいなって常々思うけど中々治せません。


そんなんだけど、イノウエは。

つれづれなるままに!ひぐらし!

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