睡魔クン
眠くなる。
暖かい部屋、退屈な話、周りには喪服のような黒い衣服を身にまとった若者たち。登壇するお偉いさんのお言葉が読経のごとく頭に入らなくなる。耳から溶けでるように流れ出てしまった言葉たちはもう戻ってはこない。現実から遠のく意識は僕の奥の方へと沈み込んでいく。
「目をかっぴらいてメモをとれ。しゃんとしろ。」
そう忠告する僕の中の1人が虚しく叫ぶ。しかし、タイタニック号に乗ったジャック・ドーソンがどれほど足掻こうと助からなかったように、僕たちは一緒に意識ごと、深い海に沈没していく。
そいつは朝から僕の中にいた。睡魔だ。舌舐めずりしてこっちを見ていた。唇が濡れて光る。
「もぉいいかぁい」
間抜けな声だ。そいつは返事を待たずに僕の意識を喰い殺す。大事な説明会を葬式会場に変える。僕の葬式だ。
思えばこんなことが幾度となくあった。
大切な会議や話し合いの時にやってくるそいつは肝心な時に頭の芯を絵の具で溶かしたみたいにぼやけさせる。たくさんの色が混じり合ったパレットはやがて混濁した黒色になって頭の中を塗りたくる。
あれは確か高校2年生の時。ボールを追っかけては蹴っ飛ばしていたあの頃だ。顧問の高橋が試合で全然勝てない僕たち部員全員を呼び出し、今までの試合分析や次試合の相手校の特徴などを説明していた時だった。そいつは現れた。
「もぉいいかぁい。」
良くない。何も良くない。レギュラーじゃない僕にも部員として、チームメイトとしてこの話を聞き届ける義務がある。
強引にハンドルを奪われたドライバーは手持ち無沙汰となって後ろの席で横になってしまう。
睡魔に運転を任せてはダメだ。こいつはこの世のものではない。言語も通じなければ運転もままならないのだ。
こいつが現れた原因はわかっている。昨晩の夜ふかしだ。真夜中に限ってタイタニック号は氷山にぶつかったりしないしパレット上の絵の具が混じり合ったりしないものだ。
「お前、やる気ないならやめろよマジで。下手クソのくせに人の話も聞けねえのかよ。」
この話し合い(そう、葬式である。僕はその瞬間、間違いなく埋葬されていた。)が終わり廊下に出た時、エースの山之辺が僕に言った。
違う、違うんだ。喉の奥で干からびていく言葉は頭とは裏腹に「うるせえな」と変換されてしまった。全部、睡魔のせいだ。山之辺、ごめん。
キュッ。
頭の芯がはっきりと輪郭を作っていくのがわかる。睡魔が去っていくのはいつも突然だ。
入ってくる言葉がシャーベット状になってひんやりと耳の奥を撫でる。これは読経ではない。営業部の説明だ。そしてここは葬式会場じゃない。会社の説明会会場だ。生きかえった。よかった。
ふと手元にあるメモ帳を見る。
アイツが書き残したのだろう、解読不能な文字列が這いつくばっていた。ミミズかよ。
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