全国高校サッカー選手権
明日の午後、決勝戦が行われる全国高校サッカー選手権。
僕は色々複雑な思いを抱きながら、それでも楽しんで経過を注目している。
まず湧いてくる感想は「すごい」。
高校の時に見てきた上手い人たちよりも数段上手いことがテレビ画面からもわかるし、顔つきも高校生のそれじゃない。甲子園球児が年下に見えないのと同じ、あの現象。
僕を馬鹿にしていたサッカーの上手いアイツよりも、ずっとずっと上手い。上には上がいることで少しだけ、安心する。僕ごときを見下してちんけなプライドを固めてたそこのお前、大したことないからな。心の中でそう叫ぶ。誰よりもちんけなプライドを固めているのは僕かもしれなかった。
「最後のロッカールーム」。そんな特集がテレビで組まれている。敗退したチームのロッカールームで涙を流す高校生たちに、監督が最後のメッセージを伝えている。グッとくるシーンだ。一般的に見れば。
「最高のチームだった。この30人がまたどこかで、違うカタチで出会い、何かを成し遂げてくれたらと思う。本当にお疲れ様。ここまで連れてきてくれてありがとう」
監督が言う。選手たちは涙を流す。
でも、僕の胸の中ではどこかやるせない、蒸気のような湿っぽい空気が溜まっていって吐き出される。喜怒哀楽で言えば、"哀"だった。そのロッカールームにいた30人に、「僕」は含まれていないのだ。
全国選手権まで勝ち上がったチームなら部員数は100人はいるはずだ。もっといるチームもあるだろう。対して登録メンバーは30人。多くの選手が選ばれなかったのだ。
最後の大会のメンバーに選ばれなかった3年生、もっと言えば初めから選考対象にされなかった3年生の憂鬱を考えると、素直に監督の言葉を聞けない。ロッカールームにすら入れないのだから最後の監督の言葉はテレビでしか聞くことができない。
蚊帳の外じゃん。そう思ってテレビを消す。
主人公として描くなら、試合に出るキャプテンよりも、箸にも棒にもかからない名もなき選手に焦点を当ててあげたいと思う。
誰も知らない努力と、憂鬱と、卑屈さ。自分に何ができる?応援?がむしゃらな姿勢?声出し?何もできないのかもしれない。才能のない自分には。監督に名前すら覚えてもらっていないようにも思う。サッカー部を辞めるか?それは"負ける"ということなのだろう。誰に?自分に。
そういう姿を僕はかつての自分自身に重ねてしまう。だからこそ、テレビに映らない影の頑張り屋を少しでも肯定してあげたい。ロッカールームに入れなくたっていいじゃんか。僕は君の味方だ。味方なんだ。
上から目線でもなんでもなく、同じ目線に立って僅かばかりでも助けてあげられないだろうか。
その憂いから、名もなき君を。
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