魔法は使えないけど

写真を眺める。一年前、有希とテーマパークに行った時の写真だ。スマートフォンの画面をこちらに向け、身を寄せ合って写真を撮った。自撮り、というやつだ。2人ともそれに慣れていなくて、スマートに撮れなかったことを思い出す。僕の笑顔に少しだけ苦さが含まれているのはその不器用さに可笑しくなってしまったからだろう。

「はいお待ち」もみあげの長い店主が湯気の立つラーメンをカウンターに置いた。僕はスマホの画面を閉じてポケットにしまい、手を合わせた。


「魔法が使えたらどうする?」
アトラクションに並んでる時、有希は言った。「魔法」をモチーフとしたファンタジー調の建物に、僕はいつからドキドキしなくなったのだろう。そんなことを思ってから答えた。
「どんな魔法かに、よるかな」
「じゃあ……箒を動かしたり、水を操ったり……」
「ミッキーかっ」有希の肩を軽く叩く。「それが使えたところでだな」
「じゃあねぇ……お願いが、叶えられるような、魔法」
「なんでも?」僕は眉を上げて首をかしげた。
「なんでも」有希は自信満々に言い切った。

なんでもなら、と僕は口を開いてから黙った。なんでもなら、君とずっと。そう言おうとして、でも前に並ぶ男に聞かれたくなくて口を閉じた。
「なんでもなら?」
有希は口をパクパクしている僕を笑って見つめる。なんとなく目を合わせられなくて視線を列の外にやる。白っぽい昼の日差しに照らされた風景は段々とオレンジ色に変わってきていて、この夕方の時間が過ぎればあっという間に夜空が広がってしまう。僕たちはずっとずっと昼間に閉じこもっていることはできないのか。魔法が使えたなら、今この時を永遠に、ずうっと留めておきたい。魔法は使えないのだけど。
「ねえ、なんでも叶う魔法なら?」
有希は僕を揺らして答えを急かした。
「そうだなぁ」
有希が欲しい答えを僕は知らない。何かを求めているのかもしれないし、何も求めていないのかもしれない。もし魔法が使えたなら、まずそれを知りたい。

「ケーキを死ぬほど食べる」
いかにも難しい顔をして僕は答えた。彼女は鈴をころがしたように笑った。
「死んじゃやだよう」
「死んだらまたケーキを供えてくれ」
「チーズケーキ?ショートケーキ?」
「いや、ミルクレープがいいかな」
「変なこだわり!」

また一歩、列は前に進む。列に並んだ僕たちはみんな心のどこかで魔法を諦めていて、それでも魔法を信じたくて、ここに立っている。魔法は使えないけど、今ここにいるこの瞬間を写真にでも収めなくては。それが僕が使える、いちばんの魔法だ。
「……写真撮っとこ」
「えーしょうがないなぁ」有希はいたずらっ子のような笑顔でスマホを取り出す。
「俺ので、撮らせて」
「こだわるねえ」
有希が身を寄せてきた。


汁だけが残ったラーメンの器に再び手を合わせる。残った水は飲み干した。食券制だったから、ご馳走様、ともみあげの長い店主に言って店を出る。

魔法が使えたとして、あの場所にあの時間に留まれたとして、僕は幸せだったのだろうか。その仮定に意味なんかなくても考えてしまう。思い出してしまう。忘れないでいてしまう。そうして忘れないでいることに安心して、苦しむ。少しずつ少しずつ忘れていく思い出に気づかないふりをして、それが一番の魔法だと気づいていないふりをして、僕はこのまま生きていくのだろう。有希がどうなのか、僕は知らない。魔法が使えても知らなくていい。

冷たい風に頬を撫でられて僕は俯く。ミルクレープでも買って帰ろう。そう思った。


そんなんだけど、イノウエは。

つれづれなるままに!ひぐらし!

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