最後になってしまうから
知らず知らずのうちに最後になってしまったことがたくさんある。
最後に母と手を繋いで歩いたのはいつのことだったろう。
最後に父に肩車されたのはいつのことだったろう。
そんな過去の最後の記憶はもう決して思い出すことはできない。何とも寂しいことだ。
だからこそ、分かりうる"最後の瞬間"に覚悟を持って向き合いたい、絶対忘れていきたくない。そう常々考えてきた。
小学校卒業時、背負っていたランドセルを下ろした最後の瞬間のこと。
中学サッカー部の最後の練習時、円になって挨拶をした時に伸びていたみんなの影のこと。
高校最後の数学の授業終わり、大して好きでもない先生に礼をしたあの瞬間の高揚感。
忘れもしない。
"絶対に最後"と言い切れるその瞬間は絶対に忘れたくないのだ。
人生最後の"合宿"だった。この先、"旅行"と呼べるものには行くだろうが、"合宿"なるものに参加することは恐らくないだろう。全ての瞬間が最後の瞬間で、1秒1秒その覚悟を持って4泊5日を過ごした。過ぎて欲しくないその1秒を記憶の中でいつまでも鮮明に再生できるように、自分の中に刻み込んでいった。
夏の大三角に飾られた夜空の下、みんなで円になって線香花火に火をつけたあの瞬間。きっと誰もがその火の玉を落としたくなくて、終わらせたくなくて、続いて欲しくて、同じことを願った。でも、叶わない。地球に重力があるみたいに、人生には時間が流れる。そのどちらにも干渉される線香花火は一瞬でその命を燃やし尽くす。誰も悪くない。終わりがあってこそ、きっと美しい。しかたない。
トリのバンドが演奏している時、その"最後の瞬間"を刻み込みすぎて涙が溢れてきた。後輩ボーカルの声が沁みて溶けて、痛みとなる。感情がぐちゃぐちゃになって、嬉しいんだか、悲しいんだか、苦しいんだか、寂しいんだかよくわからなくなった。ただ一つ言えるのはきっとあの瞬間は「最初で最後」だし、きっと忘れないだろうということだけだ。
永遠に続くものなんてない。そんなことわかってはいるのに、"今この瞬間"が何かの最後だと気づけないのはどうしてだろう。
後になって最後の瞬間を思い出せなくて悔しくなるのはきっと、僕であり、あなただ。
最後かもしれないこの一瞬一瞬を忘れないように、丁寧に生きていこうね。
じゃあ。
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詳細に合宿のこと書いてもいいんだけど長くなりすぎちゃうからね。割愛。
全部が楽しくて一瞬で終わってしまったこの最後の合宿のこと、ずっと覚えていたいね。
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