慢心に火をつけて【自己満・就活総括②】
タイトル通り、「自己満」なので、何かを伝えるものではありません。悪しからず。
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3月末〜4月:
ある日、メールが届いた。
「昨年のインターン時、イノウエ様はデスクの要求以上の活躍をされており……イノウエ様にはアルバイトという形でまたお手伝いしていただければというお願いです」
メールにはそんなようなことが書かれていた。出版社Sの人から直々にオファーメールが届いたのだ。インターン生全員に声がかかっているわけではないことがこの後明らかになり、慢心は重みを増して自分自身にめり込んでいく。
ここまで向こうから欲されているなら、内定ももらえるんじゃないか?そもそもこれは内々定なのでは……?そう考えても致し方がないことだろう。とにかくこの時は先の見えない期待感に囚われて目の前のことに一生懸命取り組めなかったのだ。一言で言えば「集中できねえ!!」それに尽きた。
4月から週2日間、S社でアルバイトをしている。他にアルバイト学生はいない。周りのS社志望の学生より圧倒的にリードしていると思っていた。
出版社のESはほぼ全てが手書き&5枚びっちり書くような、割と、いや滅茶苦茶、面倒臭いものだった。
実際、プレエントリーしたS学館やK川などはESの提出をし損ねた。単純に間に合わなかったのだ。結果、例のS社を含む11の出版系企業にESを提出することとなった。(そのうち手書きESは7つ)
ちなみにこれは今振り返れば少なすぎる。出版業界なんて10人も採用されないのに志願者が2000人を超えることなんてざらにある業界だ。数打ちゃあたる作戦or他業界への意識をもつなどしないと危なっかしくて仕方がない。そう、これは全て慢心のせいだ。S社に必要とされた自分が出版界に必要とされないわけがない。大仰に言えばそのレベルの慢心だ。書いてて恥ずかしくなる。
4月に初めての面接を受けた。電子書籍の企業だ。手応えとは裏腹に一次面接で落ちた。志望度が低かったとは言え、初めてのお祈りメールは目から入って胸に沁みた。自分の中の何かを否定されたみたいで胸の奥が痛くて重かった。
徹夜を繰り返し、締切ギリギリでESを郵送していたのがこの4月のことだった。
5月:
面接が始まっていた。
教科書出版のM社も一次のGDで散ったことがGW前にわかり、なんとなく暗雲が立ち込めてきているようだった。
出版取次のN社(唯一出版社ではなかった)の筆記テストはめちゃくちゃ簡単だった。しかしなぜか落ちた。名前欄などにマークミスがあったとしか思えない。これは負け惜しみ。
出版社Bは大手出版社の中では選考時期が早く、一次筆記選考を5月の上旬に受験した。基本的な国語や算数、英語の問題に続き、最近話題になっている人物を多方面にわたってどれだけ知っているかの問いが出題された。『LA LA LAND』の監督名、出版の筆記で絶対出る!と山をはっていたら本当に出てきて興奮したのはやたら覚えている。
土日はほぼ毎週のように筆記試験を受けた。
テスト前の会場で周りの人を見渡すと、びっっっっしり何やら書かれているノートを見返している人や参考書を積み上げている人など受験期の模試のような雰囲気だった。僕はというとネットで「雑学 クイズ 時事」などと検索してヒットした問題をしっかり覚えておくことにした程度だ。テストと一緒に受験する作文問題で挽回できれば何とかなるとの前情報を信じた。
出版社の筆記試験は難しすぎて解いてて笑ってしまう。なーにが「一般常識問題」だ。
K社の試験は新垣結衣の来歴に関する四択問題以外覚えていないが今まで受けたどこよりも自分の知らないことを聞かれたし、
例のS社の試験は1問目から知らなかった。↓
Q.1 石原慎太郎は『天才』を書いたが、これのモデルとなった人物は?
知らなかった…。そこで躓くわけにもいかず適当に「吉田栄作」と書いたら後々の面接で突っ込まれた。(正解は田中角栄)
そう、イノウエは無知なのである。
そんなこんなで怒涛の筆記試験weekをやり過ごし、面接解禁。魔の6月がやってくる。
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また続く。
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