待っている、ただただ。
ただただ、待つ。
待つことを言い訳に今この瞬間をおろそかにする。そんな土曜日を送った。
昨日受けた面接の結果を待っている。
火曜日に出るその結果を、私はただただ待っている。待っている間に流れる時間を大切にすることができない。不安が立ち回って、意識が来週に飛ばされてしまうのだ。怠惰によって流れていくこの瞬間を無駄に消費していくだけだ。
就活掲示板を見る。
その企業の面接がうまくいかなかったという愚痴を誰かが書き込んではいまいか、数時間おきにチェックする。ひとえに優越感に浸りたいだけだ。それは簡単に安心感につながってしまう。嫌な性格だ。他人の不幸を願ってみずからの不安を紛らわそうとする輩なのだ。傍目から見て気持ちが悪い。
今を大事にしなければ、と思って、「時間の大切さ」と検索窓に打ち込む。
名言の数々がヒットする。
若い頃、僕の時間は未来へ向けて無限にあるように思えた。
今、僕は終末の時間から逆算する。
すると、人も風景も、そう、何もかもが違って見えてくる。
僕は、疾走する。
演出家:蜷川幸雄
若くて青臭い私は確かに、「未来へ向けて無限にあるように思え」る時間を大切にできていない。
永遠なんてないと頭ではわかっていても、盲信してしまう。明日も明後日もきっと、「このまま」なのだ、と。
それなのに、待っている。面接の結果を待っている。
その理屈だと永遠にやってこない結果発表日を、愚直に待っている。
矛盾を孕んだこの感覚は外界との隔絶によって発酵するように徐々に醸成されてきた。
つまり、引きこもりが体感している自室の時間感覚と、世界の時間感覚はずれてしまって元には戻らないということだ。
でも明日はバイト。やっと世界と関われる。コミュニケーション能力があり、口角を上げた笑顔の仮面を張り付けて、キーボードを叩く8時間が待っている。
その仮面をしっかりリクルートバッグに入れておく。忘れないように。
フィクションにすら逃げ込めないメンタルの中、現実世界と向き合わなければいけないのだけど目を背けたいことばっかりだ。だから、自分の感覚を内側にずらすしかなかった。まるで時計の長針の動きだけを止めるみたいな。それでもゆっくりと短針は動き続けている。そのことに気づかない、みたいな。気づかぬうちに時は流れている。そのことからも目を背ける。背けた視線の先にあるのはまたもや不安である。四面楚歌。絶体絶命。脳裏に浮かぶのは口をへの字にしてどんよりとした目を自室の天井に向ける将来の自分の姿だ。
実際に今もそうなんだけど。
暗い話になってしまったので、明るい話をば。
…うーん、特になかった。
こういうところだね。
皆様におかれましては、常日頃から嬉しい出来事、楽しい出来事を意識しつつお過ごしくださいませ。では。
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