ワタシがうつになりまして。

12月に「鬱状態」。そう診断された。

11月上旬以降、抱えていた仕事について課長と折り合いがつけられず悩んでいた。課長の素行への不信感、そして自分の力量への失望も相まって仕事がすこぶる手に負えなくなった。

さらには彼女との諍いもこの時期にあった。
自己肯定感の低い彼女から「こんな私とは縁を切ったほうがいい」とまで言われ、途方に暮れた。何をどれだけしても自分の思いは届かないし響かないのだと虚しくなった。
詳しくは書かないが家族の「解散」もここに重なる。今まで信じられたものを信じられなくなっていく絶望感に何もかものやる気を削がれてしまった。

仕事をしようとすると手が震える。
誰かに何かを指摘されて、脆くなってしまった自分自身を突き崩されるのではないかと怯えていた。怖かった。怖くない人さえ恐怖の対象になった。職場で吐き気がした。目眩がしてトイレに逃げたこともあった。

12月上旬、仕事を休みがちになった僕は信頼している上司にこれらのことを打ち明けた。心療内科に罹ろうと思っていることも。
母と同い年のその上司は親身になって、その週を休みにすることを提案してくれた。
その週僕は初めて心療内科を訪れた。

冒頭に戻る。「鬱状態」。ひとまず12月いっぱい休職の診断書が出された。年末年始を挟んで3週間ほどの休みだった。診断書は3000円もしたのだが、僕には高いのか安いのかすらよくわからなかった。

休みになって時間があった。無心になってポケモンとウイニングイレブンをしながら、原因を考えた。
4月、コロナ禍により在宅勤務制度が導入された。2ヶ月近くテレワークということになる。在宅勤務は僕には全く向いてなかった。元々自宅で勉強ができない性分である。人がいるところでないとサボりを重ねてしまうのだ。変に真面目な僕はサボる自分が大嫌いで、できない自分に失望し続けた。「もっとできるはず」というハードルを超えられなくて、精神を擦りむき続けた日々だった。それに加えて一人暮らしである。起床後から寝る前まで、一日中同じローソファに座って作業をする。終業後もそこでゲームをする。メリハリを失って当然だった。
在宅勤務は今でも続けられていて、週3日ほどは自宅で仕事するということだ。このことが鬱の発端ではないかと思った。

年が明けた1月、医師から告げられる。
「気力が回復しきってないですね。」
僕の休職期間は延長された。1月いっぱいとのことだった。何もしてない、できない自分が虚しくて復職を希望したがダメだと言われた。
1月下旬にもまた同じ診断が下され、結果2月いっぱいが休みになった。診断書が出るその度に3000円を払っている。やっぱりちょっと高いよな。

旅に出た。京都や名古屋を歩いた。
家に篭りきりだと外に出るきっかけもなく鬱がループする。せっかく旅先にいるのだからと外出する自分に期待した。
しかし鬱とは病である。歩いて充実できたと思った次の日は、起き上がる気力が湧かず半日を寝て過ごした。とにかく眠い。交通費をかけてやってきたのに勿体ないという気持ちと、これはこれで贅沢なのだから浸ろうという気持ちが交差した。
病的だと思うのは、観光名所のどこにも魅力を感じられなくなっている心だった。京都の寺社を歩いても、人がいなくて快適だなとかそんなことしか思えなかった。侘び寂びすら感じられないなら拝観料を納める資格すらないよなと苦笑いした。


昨日から福岡県にいる。こんなご時世だが、後輩が会ってくれるという。それを頼りにやってきた。
しかし例によってなんの興味も湧かなくて、今現在カラオケボックスにいる。さっきまで1時間近くここで寝ていた。そしてこの文章を書いた。2時間延長しているがそんなことはもうどうでもよかった。

「自分なんかいなくたって誰も困らない」
そう思ってしまう気持ちが自分のことのようにわかる。なぜなら自分のことだからだ。
鬱は怖い。劇的に治ることはないだろうと思うし治らないのではないかとも思ってしまう。ずっとこのまま何かに失望し続けながら生きていくとしたらそれは相当しんどい。

でも、どうか普通に接して欲しい。この文章をここまで読んでくれたあなたには、どうかイノウエに対していつも通り、何事もないかのように接して欲しい。頼ってほしい。必要としてほしい。欲を言うなら愛してくれ。

最後に欲張っちゃったな。2時間の延長も限界が来たのでここで締める。また何か書きたくなったら、というか文章を書いて自分を繋ぎ止めたいと思う。
これからもよろしくお願いします。

そんなんだけど、イノウエは。

つれづれなるままに!ひぐらし!

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